ごはんが炊かれる場所が幸福であるように
今週のお題「ごはんのお供」
敬愛するコピーライター、岩崎俊一さんが書いた
『幸福は、ごはんが炊かれる場所にある。』(2009年HottoMotto)
というコピーがあります。つやつやの炊きたてごはんから立ち昇る白い湯気は、確かに日常のささやかな、でも、かけがえのない幸せそのものという感じがします。
私は子供の頃から白米が好きで、炊き込みご飯の日は母に「白いごはんがよかったのに」とよく文句を言いました。どんなにおいしいおかずが食卓に並ぼうと、私の最後の一口を締めくくるのはいつも母が漬けた梅干しとごはん。
40年以上前に母が姑から教わった梅干しは、塩分が強すぎてところどころに結晶ができていたほどだったのだそう。そんな塩の塊のような梅干しを幼い私はなぜか気に入り、「離乳食をまったく受け付けずどんどんやせ細っていくあんたが、おばあちゃんの梅干しをごはんにのっけるとパクパク食べた時は嬉しくて泣いた」と母はよく話していました。
それ以来、塩分はかなり控えめになったものの相変わらず塩辛くて酸っぱい昔ながらの梅干しを母は漬け続け、私は就職して家を出た後もずっとその梅干しを食べ続けてきました。
明太子も塩昆布もたくわんもおかかも佃煮も、ごはんのお供は全部大好き。でも白いご飯の甘さとおいしさを一番引き立てるのは、実家の梅干しを置いてほかにないと思っています。
しかし今、瓶にわずかに残った梅干しを前に私は途方に暮れているのです。
結婚して家族の在り方が変化して以来、身内への甘えが著しい兄弟とそれを容認する両親に感じる違和感は次第に大きくなっていきました。そして3カ月ほど前に起きた喧嘩をきっかけに一切の連絡を断ちました。「揉めるたびに離れて、ほとぼりが冷めると元に戻って、同じことの繰り返しだね」と友人から耳の痛い指摘を受けたこともあり、今度ばかりは覚悟を決めて実家と距離を置くつもりでした。
なのに。もう梅干しがない。その事実が決心を揺るがせます。正直、顔を合わせず言葉も交わさず梅干しだけもらえればいい。実家の梅干しを食べるのは私だけなので、母も消費されない梅干しに困っているはずです。頼めば私の要望通り応じてくれるでしょう。
でも、そんなことをすれば、自分は食べもしない梅干しを毎年せっせと漬けていた母を思い出してとんでもない罪悪感に襲われるに決まっているのです。
あって当たり前だった、長年慣れ親しんだご飯のお供がなくなることに思い悩む毎日。梅干しの瓶が本当に空っぽになった時、私はどんな決断をするのだろう。