41歳独身女のドン底日記改め、40代わたしの幸せな日常(今日のところは)

彼氏なし友達なし定職なし、でも幸せになりたかったので婚カツしてスピード婚しました!

すごい速さで夏は過ぎたが、熱が胸に騒ぐ

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何だか天気が悪いと気分がどんよりしますね。

そういう鬱々とした気持ちを吹き飛ばしたいせいなのか、昨日からずっとandymoriを聴いています。 

andymoriは2007年、早稲田大学出身の小山田壮平(g,vo)、藤原寛(b)、後藤大樹(dr)で結成された3ピースバンド。デビュー翌年の2009年には1stアルバムをリリース。さらに注目新人バンドとして「ROCK IN JAPAN FESTIVAL」「SUMMER SONIC」などの大型フェスに初出演を果たす。

 私が彼らを初めて見たのも2009年。なぜ、そんなにはっきり覚えているかというと、2009年は大阪のラジオ局FM802が主催する年末の音楽フェス『RADIO CRAZY』が初開催された年だったから。andymoriはRADIO CRAZY初回1日目の出演者でした。ちなみにその日のトリは再結成したばかりのユニコーンサカナクションがまだ前座という時代です。

RADIO CRAZY初回について何より忘れられないのは、出演予定だったフジファブリックのボーカル志村正彦が24日に亡くなって5日後だったこと。当然フジファブリックの出演はなく、ビデオクリップが流れていました。泣いている人もいたけど、ほとんどの人はまだ信じられない思いで茫然自失のまま、ただ突っ立っていました。もちろん私も。

RADIO CRAZY 2009

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 サカナクションは翌年にはトリを務めるまでの人気に。あのエレカシのブースがガラガラで、宮本さんがブチ切れていたのも思い出深いです。

RADIO CRAZY 2010

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 改めて見ると、豪華なラインナップです。

 

話を戻して、このフェスに行くまでandymoriというバンドがいることも全然知らなかった私。一緒に行った音楽通の先輩が「いいバンドだよ」というのでつきあったものの、正直午前中からマイナーな若手を聴くのダルいなーぐらいに思っていました。

が、

初めて聴いた生演奏で、一瞬で度肝を抜かれました。

なんだ!このバンド!!特にドラム、やばいでしょ!!

まだ知名度もあまりなく、早い時間だったせいでお客さんはまばら。それで最前列にいたのですが、ドラマーが一心不乱にスティックを振りまくる様を見て、とっさに浮かんだ感想が

「これは、、、スティックじゃなく刀だ!斬鉄剣だ!!」

ルパンも次元もいないけど、目の前にいるのは五エ門だと本気で私に思わせた曲がこちら(2:25~FOLLOW ME )


everything is my guitar&FOLLOW ME @SMMR SNC 2009

 

ドラム、速すぎるって!!

RADIO CRAZYではもうちょっとボーカルギターがちゃんとしていた気もするけどまあ似たり寄ったり。でも、疾走感は本当に半端なく、それからというもの関西でライブがあるたびに見に行きました。

ライブでは小山田壮平のルックスと声にキャアキャア言う女子もたくさんいましたが、それを上回る勢いでドラムの後藤大樹に声援を送る野太い男子の声が目立っていました。

 

初期のandymoriの人気を支え、和製リバティーンズとも称されるテイストを作り出していたのは、間違いなくこのドラムが叩き出す焦燥感にも似た速さでした。

しかし、それは諸刃の剣で、あまりの轟音に小山田は突発性難聴になり、ドラムが突出しすぎるあまりバランスが取れなくなっていきました。くるり岸田繁から「長く続けたかったらあのドラムを何とかしろ」と言われたこともあったとかなかったとか。

そして、華々しいスタートを切った2009年からたった1年で、ドラムの後藤が脱退を表明。

正直、ライブを見ていてもギターとベースがドラムに全然ついていけてなかったので、仕方ないかなとも思いましたが、ショックでした。

 

その後、岡山健二を新しいドラムに迎えて活動を続けたもののあの速さはなく、曲調はメロウに、より小山田壮平の書く詩を重視したサウンドへと変わっていきました。

新ドラムになってからのほうが有名だし、思想性が強くなって聴きやすくなったメロディが好きだというファンもたくさんいるでしょう。でも、私はあの、どうしようもない若さを具現化したような、初期のひりついた感じが好きだったのと、フォークっぽい曲が苦手ということもあって次第に聴かなくなっていきました。

この頃のandymoriしか知らない人が「尾崎豊の二番煎じみたい」と言っているのを聞いて、腹立たしさとやるせなさを感じながらも分からないでもない、というのが正直な気持ちでした。そして、それならバンドである意味がないだろうと。

案の定、というと語弊があるでしょうが、andymori後藤大樹の脱退から約3年後の2013年に解散を発表。ところが「このバンドでできることはやりきった」と言っていた小山田が解散ライブ前に4m以上の高さから川に飛び込んで大怪我を負う事故を起こします。

幸い1年後には回復し、解散のための復活を遂げましたが、きっと失ったものを一番惜しんでいたのはフロントマンである彼だったのでしょう。2015年には初期メンバー(小山田・藤原・後藤)に長澤知之を加えた4人で新バンドALを結成。(解散したのに初期メンバーで再結成って新ドラムの立つ瀬がないですよね。やっぱり元カノが忘れられないからヨリを戻したってことでしょう、要するに)

ただ、当たり前ですがandymoriサウンドとは違ったものになっていて、かつてすごい速さで登りつめた場所に再び戻ってくるのは簡単ではなさそうです。

 

そういうこともあってか、andymoriを聴くたびに、なぜかいつもこの一節が浮かんできます。

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ぼくは二十歳だった。それがひとの一生でいちばん美しい年齢だななどとだれにも言わせまい。
一歩足を踏みはずせば、いっさいが若者をだめにしてしまうのだ。恋愛も思想も家族を失うことも、大人たちの仲間に入ることも。世の中でおのれがどんな役割を果たしているのか知るのは辛いことだ。
ぼくらの世界は何に似ていただろうか。この世界は、ギリシャ人が、雲のかたちにでき上がりつつあった宇宙の起源にあったとする混沌に似ていた。わずかにちがっていたのは、この混沌がおわりの、真のおわりの始まりであって、この終わりから何かがまた始まろうとする端緒ではないと思われたことだポール・ニザン『アデン・アラビア』)

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andymori "すごい速さ"

 

初期の曲は尾崎豊みたいとは全然思わないけど、MVは超絶ダサいな…、、、(-_-;)

 

 

今でもandymoriのマイベストは初期のアルバム2枚です。